The meening and surface

titanium surgical steel316L JEWERLY

金属に対して抱くイメージというもの

人が素材に対して抱く印象は、あらかじめ誰もが知っている金属の場合、どんな金属は何に使われるというイメージを観念的に持っています。金属素材=イメージが出来上がっているということです。 ものが何かの用途を持っている場合、ひとは「これは何である」と理解し、ものをカテゴライズして認知します。
しかし、どこからか印象操作されインプットされてきた用途ではない新しいものにその金属が使われると 、ひとはそれを、それまでの引き出しと照らし合わせて違和感を覚えたり、好感を持ったりします。浪費や無駄使いといったイメージを抱くともあれば、もったいないという感情に結びつくことがあります。
金属で作られる結婚指輪についてみてみますと、一般的な素材にプラチナやゴールドがありますが、例えば金箔を金屏風にふんだんに使うことは善しとしても、 金箔を段ボールにふんだんに貼りつける行為をみたら、もったいないと感じてしまうかもしれません。金でできた結婚指輪は良くても、金でできたねじやホッチキスはどうでしょうか。
私たちはモノを見るとき、ふつうはそのかたちと色と使われる用途、つまり実利を認識して判別しながら当たり前の生活しているわけですが、芸術のように実利の意味を剥ぎ取られ、いったい何の用途に使われるのかわからないものに遭遇すると、私たちは戸惑ってしまうでしょう。現代美術のギャラリーでそうした体験をしたことがあるひとも多いでしょう。
そしていつも見慣れた質とかたちなのに、色彩だけが消し去られて白黒の世界だとしたら、どう認識してよいかわからなくなってしまうでしょう。結婚指輪が金で出来ていることはあたりまえの事としてとらえられても、光っていればまだ、何かの金属だとわかりますが、たとえばチョコレートでできていたとしたら、それを黒の結婚指輪だと認識できず、スイーツとして判別するでしょうか?持ってみて、手に取ってみてそれが体温によって溶けてきて、初めてチョコだと気付くことになります。それでは、チョコそっくりの色と質感のチタンの指輪だったら、ひとはそれを何だと認識するでしょう。チタンは軽さに驚かれます。金属は重たいイメージをみんなが持っているからでしょう。 ものの質感の情報が消え去ってしまったとしたら、不思議な空間に迷い込んだような感覚を覚えるかもしれません。未知なものごとには人は不安を抱きます。ウェディングでの結婚指輪の交換で、その結婚指輪がプラチナやゴールドではなく、もし毛糸とか折紙で出来た指輪が出てきたらどう思うでしょうか。ブライダルショップに、貴金属の指輪に混ざって、あるいはチタンリングにまぎれてキャンディーで作られたマリッジリングがディスプレーされていたら。。。そうした視点を逆転させたり、不思議な感覚にゆさぶりをかけたりするしかけがアートなのかも知れません。
金属から立体造形になるまでの動画/東京藝大 ひとは、ショーケースを覗くとき、そこには商品が展示されていることを前提に見ているわけです。そういった前提がひっくりかえったりすると、もうパニックになってしまうでしょう。
チタンという新しいレアメタルがここに展示されています。
チタンで手作りする結婚指輪
既存の価値と別の新しい発見があります。