もののかたちを人はどうやって認知しているのでしょう?
素材について日常見慣れ過ぎてあまりにもあたりまえだと、ものの材質をあらためて感じたり、まじまじと眺めるということはしないのが普通。
ひとはものの形体に関しても、観念を働かせてカテゴリー化して認知しています。不思議な物体をみたとき、
実用的な用途が理解不能なものは自分の引き出しにないため、「これは何?」と聞いてしまいがち。
何に使用され役に立つものなのか、何のためにそこに存在しているのか、理由もなくギャラリーのど真ん中に置かれているものに対してわからないという表現をあてはめようとしがちです。そして、そういうものたちへのまなざしや想いを、いつも見慣れたかたちではなく、別の角度から、違う観点から目を向けさせ、気づかせてくれる仕掛けをするのがアーティストだと思います。いつもいつも見慣れていて、あたりまえと思っていることを、意外な角度から見せて気付かせてくれる、そんな作業もアートといえるのだと思います。カラーだけを剥ぎ取ってみたり、縮尺の大きさを狂わせてみたり、実用性という意味をはぎとってみたり。重さの感覚を宙ぶらりんにしてみたり。
例えば何の役にもたたない、単なる素材ってどんなもの 結婚指輪 素材と用途ともったいない結婚指輪 材質の価値はどこからくるの?湯水のように使われる素材はもったいないか、希少だと価値があるのか投機対象だから価値が出るのか。実質的な需給なのか。
ものに意味を見つけるのは、それを観る人の心の中にあります。
創ろうとする意欲やモノ作りでの格闘 おもしろい作品と結婚指輪は 仕上げよりも手作りする過程 . .
オリジナルって何だろう?新しいものって本当にあるのでしょうか?
making、はたまたクリエイトなのか、プロダクトなのか、コンストラクトなのか。アートとデザインの境はどこ?それは意味を吹き込むこと。
何かオリジナルをつくるには。先例のないアイデアを起こしてつくるならそれは創ること。本当に前例がない新しさってどこかにあるのでしょうか。新しさと古さは何で決められるのでしょう。
物事のことを起こすのは創るの意の創作。フォルムやシェイプを空間において立体的に占有するような表現は造るの意の造形。こしらえるとか、つくる、工作などは作るか創るの意の制作か創作。誰も今までに見たこともないモノって産み出せるのでしょうか?目新しいとか、奇抜という意味とは違う気がします。ではありきたりとシンプルとミニマリズムは背中あわせにも思えます。どういう意図でどんなタイプかで表現媒体によってもいろいろなつくるがあるようだけれど、ジュエリーもアクセサリーのデザインもアートもそういう産み出す過程で手段と目的が選ばれ決定されていき、対象が絞られる。小さなアイデアが日の目をみるために、伝達されるために。そして、受け取るだけでなく、傍観するだけでなく体験するために。そこには伝達と体験というコミュニケーションが生まれます。認知するためには、共通の認識がなければ成立しない気がします。わからないことを伝えても伝わるのか?意味がわかっているアイテムを駆使して何かを伝えているのでは?
金属の化学的ポテンシャルを指輪の側面から解説チタン結婚指輪プロドット
ものがあふれているけれど、新しいものを作ることは新しい意味を生み出して吹き込むこと。
それは停止していない状態。すべての物質にはポテンシャルは最初から備わっています。
ミニマリズムとかシンプル イズ ベストと単純明快、質素で退屈との境界線はどこだろう?
奇抜なデザインVS無難なデザインの指輪。
意図として狙った余白を引き締めるポイントがあればがらんとした空間も生きてきますが、部屋を殺風景と呼んだり間抜けという言葉もあります。退屈、物足りないと表現されることもあれば、無駄を削ぎ落とすという言い方もあります。無味無臭、杓子定規、ワンパターンより、均衡をあえてくずしたり、ちぐはぐにしたりすることで変化に富んだ豊かさを惹き起こす狙いもあります。汚した味、ダメージをあえて与えたビンテージ感なのか、汚れてしまったシミ、傷、よれ、腐食なのか。作り手は印象を操作します。